躾と暴力は違う。どうやらこの少年はそれを理解して居ない様だ。本当に躾だったとしても良くある言い訳とでも言うのか、どうにかなるものでは無かったけれど。
「誰だって、一つ位は嫌いなものがあるから」
誰にも、どうにも出来無いもの。
鴒多の母親は《普通》を求めた。普通の家、普通の家族、普通の生活。しかし鴒多が生まれて来た事で、彼女の理想は壊れてしまった。両親もその家族にも居なかったのに。虹彩異色症。彼女の子供は左右の眼の色が異なって居た。母親にはそれが耐えられなかった。
(鴒多は良い子だよ。コレさえ無ければ、普通の子だったら……)
自分が叩かれるのは仕方が無い。彼女の望む様に生まれて来なかったのだから。 鴒多が見る母親の姿は、泣いてばかり居る人だった。父親は、怪我の手当てをしてくれる以外は何もしない人だった。それでも鴒多は両親の事が大好きだったし、幸せで居て欲しいと思って居た。映画や漫画みたいにこの眼を抉ってしまいたいと思った事も幾度と無くあったが、自身を傷付ける勇気なんてある筈も無い。このままで居る事と片眼が無くなる事。《普通》に近いのはどちらなのか。
(痛くないから、大丈夫)
(酷い事なんてされてない)
誰がどう見ても明らかなのに、鴒多自身は苦痛の片鱗を見せる事は一切無く、それを訴える事も無かった。