出来る事なら、今すぐに振り向いて駆け寄って、抱き締めてやりたい。こんな形で手放さなければならないなんて、何時だって考えたく無かった。
「嫌い嫌い嫌い嫌い。きらい。きらい。キライ。僕、嫌われちゃった。良く解んないけど」
何時の間にか涙の影が消えて居る様に思う。言葉を憶えたばかりの子供の様に、同じ言葉を繰り返す。逸そ、この声を聞こえなくしてくれれば少しは気が楽かも知れない。この子がこれからどうなってしまうのかなんて、考えなくても解りそうなもので。解って居ながら何もしない自分が嫌になる。
「随分と大事にして下さったんですね、貴方は本当に優秀な人だ。その妄想癖が無ければ尚良い」
仮面の男がペンと書類を差し出した。素顔が向かい合う事は無いと言うのに、私は仮面の下で出来る限り自然に笑い、頷いた。彼曰く、此処で別れたら二度と逢う事は無いらしい。それが良いのか悪いのか、私には解らなかった。
「情が移るのは、ある程度は仕方無い事ですけどね。その内馴れます、涙なんて直ぐ渇れますから」
何が面白いのか、彼は仮面の下で静かに笑うのが解った。それが形式的な無機質なものに、酷く気味の悪いものに見えた。あの子の紅い眼には彼も私も、同じ様に映って居るのだろうか。 それでは、と彼は出口を指した。
「……駄目です。理解されて居る筈ですよね?ご希望でしたらもう一度説明しましょうか」
もう一度だけ、と言う間も無く。淡々と紡がれる彼の言葉は、冷たいとも取れるが本当に正しい事ばかり。私はこれを理解して居る筈なのだ。それこそ嫌と言う程に。
「そうですか、それなら問題ありませんが。是非次のもお願いしますね。では、お疲れ様でした」
部屋の外へと追い出された私の後ろで扉が閉まる。もう何度、こんな思いをしたのだろう。こんな事はもう辞めようと、何度思っただろう。仮面の下で泣きながら私は扉の前に座り込んだ。