眠ってしまえば嫌な事は過ぎてしまう、と何時か誰かが言って居た気がする。俺はその場に蹲ったまま眼を閉じた。しかし恐怖と緊張と、名称なんて知る筈も無い他の神経があの化物を警戒して居る。そんな興奮した状態では到底寝付ける筈も無く、この状況は所謂夢落ちで無い事が確定した。
静かな部屋で暫くじっとして居ると、少しずつではあるが落ち着いて来るのが解る。俺は静かに眼を開け、ゆっくりと起き上がった。灰色の壁で囲まれた部屋には何も無く、そのほぼ真ん中に俺は蹲って居た。視界を巡らせると扉があったが、下手に物音を立てたく無かったから近付くのは辞めた。 化物が居ないと気付いたのは、その時が初めて。逃げるかも知れないのに見張って居ないと言う事は、そうなっても構わないと言う事だろうか。現に奴は扉は開いて居ると何度か俺に言った。しかし、考えても解る筈が無い。相手は化物だから。ぼんやりして居ると静かに扉が開き、化物が帰って来た。
「……」
俺を見て少し動揺した様だった。もし逃げ出しても今が昼なのか夜なのか、どの位の時間が経って居るのか解らない。何より、此処が何処なのか解らないし、そうなると帰り道も同じ様に解らない。もう解らない事だらけだ。
「……お前は俺を知らない。殺されるかも知れない相手から逃げないのか……手段も時間もあるのに」
全くその通り。扉は開いて居ると御丁寧に教えて貰ったのに、俺は未だ此処に居る。
「多分……諦めてるんだと思う」
部屋から出た所を捕まえて殺すんだとか、わざと逃がして追い掛けるんだとか、そんな事を考えた時点で諦めて居たのかも知れない。想定とは言え死ぬかも知れないリスクに、わざわざ飛び込む馬鹿はそう居ないだろう。