「……あ、忘れてた」
不意に、ポケットに入れて居たもうひとつの時計の存在を思い出した。何時手に入れたものだったか、ぼんやりと考えてみる。別に思い出せなくても良いのだけれど。そもそも、動いて居ない時計を何故持って居るのか。昔使われて居た様な……初めて見た時は動いて居た様な。曖昧な記憶が薄っすらと脳裏に浮かんでは消えて行く。これも誰かに貰ったものだったかどうか……思い出せない。
「……ィ……ス……ギギ」
歪んだ秒針が一秒間だけ動いた。
「何?」
止まった時計の蓋には仮面の装飾がされて居て、笑った顔と悲しい顔が半分ずつ此方を見て居る。その笑った方の口が微かに動き、軋む様な音を立てた。暇を持て余す彼を好奇心が支配するのは極簡単な事で、その証拠につい先程まで寝て居た長い耳がぴんと立った。
「ァ……ア……ギリギリ……」
軋む音に交じって、声が聞こえる様な気がする。解る言葉を話すだろうか。何が切っ掛けで動き出したのか、動くなら何故今まで止まって居たのか。解らない事は考えるのを辞めた。
「ツカ……マ……エ……テ」
時計をくれた誰かが言って居たのを少しだけ、思い出した。序でにその誰かがどう言う人なのかも、少しだけ。
(……を連れて来なさい、シロウサギ。お前はその為に生まれたのだから)
あんただって白いじゃ無いか、と思った。五月蝿いから嫌いだった。いや、そんな事は無い。優しい人だ、彼女は。そう、女の人。白いドレスの女の人。
何処からかトランプが一枚降って来た。一枚が二枚になり二枚が四枚になり、もう少し増えた所で小さな扉になった。白兎は首に掛けた金色の時計を見て、もうひとつの時計も首に掛けて。ゆっくりと、扉を開けた。
【二つの時計】