【アニェ/モノクロ】
武器も棺も無い、衣服すら剥ぎ取られ、丸腰どころか全裸で放り出される事になるなんて誰が想像するだろう。ベルリ・ルストが異形と戦えるのは、武器だけでは無く身に纏う全てにその力があるからだ。厳しい訓練を積んで居るとは言え、人間の体自体に力が宿る訳では無い。
「……寄るなっ……」
震える足元に低級悪魔が寄って来る。素足でも蹴散らす事は出来る。しかし、反撃されたらただでは済まない。足首から先は軽く持って行かれるだろう。こんな小さな悪魔、ブーツさえ履いて居れば簡単に踏み付けられるのに。
「(こんなのに殺されるなんて……思った事無かった……)」
今まで何とも思って居なかった存在に恐怖を感じてしまう自分が情けない。死に直結するかも知れないそれは初めての感覚でもあった。失敗しない自信があったが、それはディアーニオと呼ばれる上級悪魔にたまたま出逢わず運が良かっただけだったのだ。
「ね?君は実際、何の力も持って無いんだよ」
冷たいものに背後から抱き留められ、全身が怖気立つ。耳元で囁くのは彼女をこの状況に突き落とした夢魔である。
「何で死に急ぐの?」
足首に纏わり付いて居た低級悪魔が黒い靄の様に消えた。
「待ってる方が楽なのに」
振りほどきたかったが、この腕から抜け出せたとして何処へ行けば良いのか。残念ながら棺が無い状態で元の世界へ帰る方法を知らない。取り戻すなら武器よりも棺だが、保管されて居るのか破壊されたのかも不明だ。そんな事より兎に角逃げようなんて考えはアニェには無く、彼女はどうするべきかと立ち止まったのだった。
「私を、どうする……気……」
「俺は優しいから。安心して」
大嘘だ。今は殺す気が無くともいずれはそうする筈。生かされて居る間だって何をされるか解ったものでは無い。逃がす気だけは確実に無いのだから。それでも、上辺だけでも強がりたいが声が震えてしまう。 悪魔が口元を覆って居たマスクを外した。
「キスする時ってドキドキするよね。君みたいな娘とだと特に」
その意味は未だ解らなかったが……後に触れた鉄錆の味で全てが潰される事になった。アニェは、私は、その瞬間から恐らくヒトでは無くなった。