首都圏での梅雨入りが宣言されたその日、皇イツカは、同じアイドルユニットに所属する水瀬雫の実家に向かっていた。なんでも、旬の梅が大量に手に入ったらしく、使い道に困っているのだという。
それなら、みんなで梅シロップを作ろう。そんなことを言いだしたのは、はたして誰だったのか。あれよあれよという間に、雫と、もうひとりのメンバーである香坂雅、そしてイツカの三人で、梅シロップを作ることになっていた。
「……梅シロップ、作るのは、ひさしぶり、だな」
降りしきる雨が刻むリズムを傘越しに聴きながら、イツカはぽつりと呟いた。
イツカがまだ、児童養護施設「かざはな」にいた頃、この時期になると、近くの梅園から梅をもらうことが、たびたびあった。あのときは、施設で暮らす兄弟たちと一緒になって、消毒したビンに梅と氷砂糖を詰めては、自分の名前を書いたラベルをふたに貼っていた。
二ヶ月ほど寝かせることでできあがる梅シロップは、水で薄めてジュースにした。セミの声と風鈴の音色が混ざりあう涼み台で飲む梅ジュースは、とてもおいしかった。口に広がった甘酸っぱい梅の味と、汗をかいたグラスの冷たさを、イツカは今でも鮮明に思い出すことができる。
「みんなで飲んだら……きっと、もっとおいしい、だろうな」
二人は、イツカがアイドル事務所に所属してから、ようやくできた大切な仲間たちだ。そんな彼らと飲む思い出のジュースは、きっと格別においしいだろう。梅は夏バテにも効くというから、ダンスのレッスン後に飲むのもいいかもしれない――自然と、イツカの頬は緩んだ。
アスファルトで舗装された道の脇に、青い紫陽花と赤い紫陽花が並んで咲いている。その色が、どことなく雫や雅を思い出させて、イツカはふと足を止めた。
「きれい」
雫と雅にも見せたいな。ぼんやりと、そんなことを思った。傘を差したまま、ポケットからスマホを取り出して、二色の紫陽花を画面に収める。
そこで、イツカは気づいた。紫陽花の葉に、二匹のカタツムリがいる。一匹は親指の第一関節ほどの大きさで、もう一匹は小指の爪ほどしかない。まるで、親子のように寄り添うその姿に、イツカはかすかに胸が痛むのを感じた。
けれど、胸の痛みには気づかないふりをして、イツカは二匹のカタツムリに傘を差しかけた。冷たい雨粒が、イツカに降り注ぐ。それでも、イツカはただ、カタツムリたちが葉の裏へ避難するのを見つめていた。