「それで、そんなずぶ濡れになったのか……」
イツカの髪をタオルで拭きながら、雫がため息まじりに言った。雫にされるがまま、玄関口で事情を説明していたイツカは「そんなところ」と、うなずいた。
「雫、呆れた?」
「いや。呆れたとか、そういう問題じゃなくてだな」
今度は、はっきりとため息をついた雫に対して、けれど、イツカは目を細めた。
「でも、イツカ、雨は好き。雨粒とか、なんとなく、雫のこと、思い出す。……晴れの日は、雅かな」
たまゆら、沈黙があった。
「……イツカ。次からは、雨合羽を着なさい」
「ん。わかった」
丁寧に髪の水気を取る雫の手つきが、心地よい。イツカは、どことなくくすぐったいような気持ちになって、首をすくめて笑った。
そこへ、奥に引っこんでいた雅が、ひょっこりと顔を出す。
「雫、イツカ、風呂沸いたって」
「ああ。ありがとう、雅」
「いいよ、別に大したことじゃないし」
からりと笑って、雅はイツカを見た。
「こっちでシロップ作りの準備はしとくからさ、イツカはしっかり風呂で温まってこいよ」
「え、でも……」
「大丈夫だって! イツカが出てくるまで、ちゃんと待ってるし」
雅になだめすかされ、イツカは渋々とうなずいた。
しかし、雫に連れられて向かった風呂場で、イツカは固まることとなった。
「着替えは俺のしかないが、このままだと雅が言うように風邪を引くからな。湯船には肩まで浸かって百は数えるんだぞ」
湯の張られた浴槽を前にして、雫が温度を調整するためのパネルを操作している。けれど、イツカの反応がないことに気づいてか、雫も顔をあげた。
「イツカ、どうした?」
「……広い」
百合園家の浴槽は、イツカが育った施設のそれよりも、遥かに大きかった。三人くらいなら、余裕をもって入ることができそうな浴槽は、イツカが足を伸ばして浸かっても、まだ余裕があるだろう。
あるいは、一般的な反応であれば、その広さに感激したりもするのかもしれないが、イツカは慣れない環境に戸惑った。広すぎる浴槽を前に立ちつくすイツカを見て、雫は「少し待ってろ」と言って、風呂場を出ていく。戻ってきた雫の手には、黄色いアヒルのおもちゃが握られていた。
「少し落ち着かないかもしれないが、これで我慢してくれ。俺たちはキッチンにいるから」
雫は、イツカの手にアヒルのおもちゃを握らせると、脱衣所に着替えを残して出ていった。
一方で、アヒルのおもちゃと長らく見つめ合っていたイツカは、こらえきれなくなって、小さくふきだした。
「雫、小さい頃、使ってたのかな」
濡れて身体に貼り付く服を苦労して脱いでから、軽く汗を流す。アヒルのおもちゃと一緒に湯船に浸かれば、冷えていた身体がじんわりと温かくなった。雫に言われたとおり、湯船の中で膝を抱えたまま、数を数える。湯に浮かぶアヒルのおもちゃが、不思議とイツカの気持ちを落ち着かせた。