しっかり百まで数えて湯船から上がったイツカは、雫の服を借りて脱衣所を出た。雫と雅の二人を探して、ぐるりを見渡す。
「えっと、キッチン、は……」
「あらあらあら、イツカくんじゃない。もしかして、キッチンへ行きたいのかしら?」
華やかな女性の声に振り返れば、見覚えのある人が微笑んでいた。
「お邪魔、してます……雫の、お母さん」
「あら、いやだわあ。そんな他人行儀じゃなくて、清華ちゃんって呼んでくれていいのよ?」
イツカは、小首をかしげた。
「……清華ちゃん?」
「そうそう、清華ちゃん!」
うれしそうに両の手を合わせて微笑む百合園清華の姿は、とてもイツカと同じ年頃の子どもがいるとは思えないほどに若々しい。あるいは、雫が女装をしたら、こんな感じになるのかもしれない。以前、マネージャーである白鷺祷が仕事のひとつとして提案してくれたバラエティ番組の内容を思い出して、イツカはぼんやりと考えた。
「それにしても、イツカくんって私の知り合いによく似てるのよねえ」
「……そう、なんですか」
「ええ、そうなの。私と同じで芸能界にいた人だったのだけれど――」
「母さん」
そのとき、清華の言葉をさえぎるように雫の声がした。
「イツカは真に受けやすいんだ。あまり、からかわないでくれ……」
「あらあ、心外だわ。私はいつだって本気よ、雫」
「……余計にタチが悪いんだよ、母さん……」
顔をあげた清華にけろりと返されて、雫が胃の辺りをそっと押さえる。すかさず、イツカは口を開いた。
「清華ちゃん。雫、胃が痛いって」
そのとき、雫の動きが、凍りついたみたいに止まった。
「――イツカ。今、なんて言った?」
ぎこちなく振り返った雫の腕が、イツカの両肩へと置かれる。イツカは瞬きをしていた。
「雫、胃が痛いって」
「いや、その前だ」
再び、イツカは首をかしげた。雫は一体どうしたのだろう。イツカは何か、おかしなことでも言ってしまっただろうか。
記憶を洗いながら考えること、数秒。イツカは、思い当たった言葉をぽつりと口にした。
「清華ちゃん」
直後、雫の深いため息が落ちたのだった。