源氏物語の作者である紫式部も月を見て源氏物語を思い付いた、という逸話があるほど月には何か魅力や人に与える影響力が強いのかもしれない。
とはいえ同じように月を眺めていても物語が浮かばない。なにか少しでも浮かべば書けるように、と側に置かれたガラスペンと原稿を少し寂しげな表情をしているように見える。言葉を発せられない、使われない無機質がどんなに寂しく惨めかは瑛霞本人も理解している。しかし、どんなに書いても書いても書きたい物語にならず執着地点が見えない。執着地点が見えない物語は書き手側に負担を書けてくる。段々辛く悲しくなり没にしてしまい、それを繰り返していくと段々最初に書きたいものが分からなくもなり自分をも見失い空虚になっていく。
部屋に引きこもっていてもなにも浮かばない、気分転換にと思い、今日が中秋の名月だったことを思いだしてこうやって部屋から出て空を見上げても何も思い付かない。
(そういえば…イリアも物語で月を眺めているシーンがありましたね。彼も月をただ眺めている、何をしているかと問われても返答しないのではなく出来なかった…と言ってましたね。イリアはこのような気持ちだったのでしょうか…)
最初にそのシーンを見た時、このときのイリアはどう思ったのですか?管理人に聞いたとき「読み手側に判断は委ねている」と答えられた。そして、「瑛霞はどう思った?」と逆に問われた。
その時、そのシーンの時、時系列的には参加させていただいていた世界共有企画から自創作の実家に帰ってきた辺りだった。
だから、「月を見て、会えないお相手様を思っていたのでしょうか?世界は違えど月を通じて会いたいと感じたのかと…」と答えた。不安げに言ったが正直に言えば返答に自信があった。イリアに対して読み込みはしていたから。
しかし、管理人は「そう感じたならそれが瑛霞がその時のイリアの気持ちだと感じたのだろう」と言っただけだった。
この返事に納得が出来ず正解はどのようなものだったのかを問えば「瑛霞、創作には正解はない。書き手が自由に書くように、読み手は自由に読み取り解釈する、それだけだ」と言われた。
創作に正解がない
その言葉がずっと心に引っ掛かってとれない。
正解がない、自由なのに、書いても自分の中で作品として納得が出来ない、上手く文字が並べられない、言葉が生きて届かない
楽しそうに創作する管理人を追うように創作を始めた筈なのに創作が苦しくて辛い、何故こんなにも違うのか。
(駄目…これ以上考えてしまっては自分が嫌になる。気分転換に来た意味がなくなってしまう)
人間のように見えながらも人間ではない。寒さを感じないとはいえ長時間の秋の夜風に辺り続けて身体に何か影響がないとは限らない。なにより気分が滅入ってしまって月見を楽しむ余裕がない。ガラスペンと原稿を抱き抱え自分の部屋へ戻る。
勿論その後ろ姿に声をかけるものはいない。
しかし、瑛霞は心に余裕がなく、感じれてない、気が付かないだけで月は変わらず美しく見守っていることを。