逆転/企画・AtoZ
――被告人はすべて有罪にする。
それが、私の“ルール”だ。――
そう、それがルールだった。揺るぐことはないはずの、私の信念だった。なのに何故、迷ったりしたのだ。証人の言う通り『弁護人の推測に過ぎない』と一蹴することも出来た筈なのに。
疑わしきは罰する。あの時にそう心に決めたではないか。罪を犯しておきながら、生かすことなど許せるものか。
確かに、犯罪者に法の裁きを与えた。だが、それは結果論でしかない。裁かれた者は被告人ではなかったのだから。自分の望みは叶っているのに、自分の意図している方向ではない――モヤモヤと心の中で渦を巻く“ムジュン”。
やはり成歩堂に触れてはいけない。私の守ってきたモノが壊れてしまうような、不安と焦りと恐怖、そして忘れてしまおうと抑えた気持ちに心が支配されてしまう。
「御剣。」
名前を呼ばれてハッとする。声がした方に視線を向けると、そこには先生が険しい表情を浮かべ立っていた。
「‥‥あんな弁護士に1度ならず、2度までも負けるとはな。加勢するとはどういうことだ。」
「申し訳ありません‥‥先生。」
返す言葉が見つからない。先生の言う通りだ。私は自らの意思で、捨てきれていなかったプライドのせいで、狩魔の教えを背いてしまった。
「ワガハイはそんなことを教えたことは無いぞ、御剣。」
全くその通りだ。申し訳ない気持ちと、愚かなことをしてしまった自己嫌悪で先生の顔が見れずに俯いた。狩魔のルールから逸した私を先生はどう考えているのだろうか。呆れたのだろうか。見損なわれてしまうだろうか。破門にさせられてしまうだろうか。
そこまで考え、ドキリ、と心臓が跳ねた。
――嫌だ。
また無力な自分に戻るなんて。また道を無くすなんて。憧れている人に嫌われるなんて。
不安が一気に込み上げて、視界がぼやけて辺りが次第に暗くなる。そして私だけが切り取られたように残され、周りにある酸素が薄れてくる。
――いや、違う。
実際に、現実で起こっている訳ではない。そう理解していても体が言うことを聞かず、浅い呼吸を繰り返している。言いようのない、淀んだ不安に包まれると私はいつもこのような錯覚に陥る。
いわゆる、フラッシュ・バックというものなのだろう。闇のように這い上がる不安が、あの忌まわしい私の全てを奪った暗闇に自然と重ね合わせて、囚われる。こうなってしまうと、上手く頭が回らず思考が停止してしまうのだ。息の仕方さえも分からなくなりながらも、今はただ、先生に見限られないように必死で謝り続けた。足にすがりつくように裾を握り締めて謝りながら見つめた。先生は足元に居る私を冷ややかな笑みを浮かべて見下ろしている。それが嬉しく思う。この瞬間、私は先生を独占しているのだ。先生も私を見てくれている。
「まあ、いい。」
ふっと片側の口角を上げて笑った。先ほどまでとは違う、少し暖かく感じる瞳に私はまた魅了される。
「その変わりに頼みたい事件がある。‥‥次こそは被告人を有罪にするのだ。」
「は、はい!」
思っても見なかった先生からの言葉に、私はすぐさま返事をした。私はまだ先生に見放されてはいないのか。まだ求められているのだ。徐々にではあるが、視界が晴れて色が見え始めた。先生の言葉に安堵し、心が落ち着きを取り戻していく。
「いいか。次こそはカンペキな勝利を取れ。どんな手を使っても、な。」
今度は力強く迷いなく答えた。私の返事を聞いた先生は、期待していると一言残して去っていってしまった。残された言葉がずしりと心に響いた。
私は期待されている。憧れて止まないあの人に。‥‥師の期待に応えるのが弟子だ。ならば、何としても私は有罪判決を勝ち取らなければならない。
罪を逃れる為ならばヤツらはどんな嘘でも言う。ならばこちらも、どんな手を使ってでも裁きを与えるのだ。それが私が教え込まれたこと。私を惹きつけた先生の、狩魔検事のやり方。スマートで鮮やかな完璧な法廷スタイル。そのルールに則って、私が被告人の罪を裁き死刑台に送るのだ。それが検事として、私が歩むべき正しい道なのだ。
‥‥‥‥間違いは、ないか?
まるで、もう一人の自分が居るみたいだ。自分自身に問いかけている。先生が決められた道に、間違いなんてあるはずが無い。あるわけが無いのだ‥‥。
『つまり、ぼくの有罪はもう決まってる、というワケだ。』
いつかの、成歩堂の言葉が脳内に響く。あの時の私は彼に投げかけられて、答えることが出来ずにただ黙っていた。そうだ、とも、違う、とも言えなかった。恐らく今でもこの答えは見出すことは出来ないだろう。
被告人が無罪だと分かっていても有罪にする、のか? それは犯罪者を、真犯人を逃していることになるのではないか。過去には冤罪もあったかも知れない。‥‥それでも。そうだとしても。先生のされることは正しいはずなのだ。
『御剣‥‥変わったな、お前。』
正しいはず、なん‥‥だ。
「先生‥‥私は、どうしたら‥‥」
初めて抱いた疑念は波紋のように広がり続けて収まらなかった。
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