逆転/企画・AtoZ
「20歳という若さで法廷デビューした検事に、アメリカで史上最年少の少女検事、40年間無敗の検事に、コーヒーが似合う敏腕検事‥‥」
隣の芝生は青く見える、なんてよく言ったものだ。‥‥あれ畑だったかな。なんにしても、ぼくが出会う検事という検事、優秀な人ばかりじゃないか?
「なるほどくん、どうしたの? 急に。」
ぼくのつぶやきを聞いていたらしい真宵ちゃんがマンジュウを頬張りながら尋ねてきた。正確に数えてないけど、たぶんコレで8個めのマンジュウだった気がする。やれやれ‥‥、あと1時間もしないで晩御飯なんだぞ?
「ぼくの周りの検事ってスコウデの検事ばっかりだなあって、ちょっと思ってさ。」
ちょっと悔しいよね、と言うと真宵ちゃんは驚いたように目を丸くしてぼくを見た。な、なに? なにか変なこと言ったかな?
「なるほどくんでもそんなこと考えるんだねぇ。」
「オイ。」
“でも”ってなんだ。“でも”って。一言よけいだよ、真宵ちゃん。ぼくってそんなに悩みがないように映ってるのか‥‥?
はぁ、と真宵ちゃんに気づかれないくらいの小さなため息をついた。弁護士として、ぼくは絵に描いたようなザ・平凡オトコだと自分では思っている。天才は検事だけじゃない。ぼくが知る限り、弁護士だって天才で秀才過ぎるんだ。依頼人を信じる気持ちはダレにも負けないと思っているけど、守れるほどの強さや頼りがいがまだぼくには足りない気がしている。
マンジュウを詰め込んだ真宵ちゃんがお茶で流しこむ姿を見ながら、ぼくはぼんやりとそう思った。彼女は口元を拭うと、トコトコとぼくの机の前にやって来て太陽みたいな笑顔で言った。
「なるほどくんも天才だよ?」
「‥‥気遣いなら間に合ってるよ。」
「もー! なんでそうひねくれるかなぁ! だから老け顔なんだよ!」
真宵ちゃんは、バンと机を叩いて思いっきり抗議と批判をぼくに浴びせる。‥‥って、ちょっと待て。
「いやいやいや。老け顔は関係ないでしょ!? え。っていうか、ぼくって老け顔なの‥‥?」
うん、なんて返されたらどうしよう。ぼく、まだ20代なのにショックだ。前に9歳の子供から“オジサン”って言われたし、きっとそうなのかも知れないけど。
「‥‥お姉ちゃんがね。言ってたんだよ。」
さっきの冗談混じりの表情から一変して、真宵ちゃんは真剣な眼差しで言った。雰囲気も先ほどのふざけた空気から張り詰めたものになる。もちろん、老け顔云々の話題は闇に葬られてしまった。
「千尋さんが? 何を?」
真宵ちゃんのお姉さん、綾里千尋。彼女はぼくにの師匠で憧れの先輩だ。千尋さんのような弁護士になりたい、とぼくの目指すところでもある。なぜ、今千尋さんの話なんだろうとぼくは真宵ちゃんの言葉を待った。
「‥‥お姉ちゃんが亡くなった事件、覚えてる?」
「‥‥うん。」
苦い事件にぼくは短く返事をした。
ぼくにとっても目の前にいる真宵ちゃんにも忘れられない、忘れることなんて出来ない事件だ。あの気が狂ってしまいそうな衝撃と痛み、苦しみはぼくの中で根強くシコリとなって残っている。‥‥おそらく真宵ちゃんにも。
「あのとき、ホラ! 証拠になった電話メッセージがあったでしょ?」
あぁ、とぼくは記憶を辿った。真宵ちゃんが、千尋さんと会話した内容を携帯の機能を使って録音していたメッセージ。アレは盗聴していたという事実を暴いた重要な証拠品だった。
「アレのちょっと前にね、お姉ちゃんがなるほどくんの初法廷の話をしていたんだ。」
ぼくの初法廷‥‥。それは矢張が被告人になったあの事件の裁判のことだ。ぼくには話の繋がりが見えないままだったけれど、真宵ちゃんは続ける。
「お姉ちゃんがね、なるほどくんの奮闘を語ってて。正直ヤバかったって言ってたんだ。」
思い出して喋っている真宵ちゃんは少し切なく、だけど楽しかった会話に笑いを浮かべている。無理に笑って明るく振る舞おうとしてるんじゃなく、あの日々を懐かしんでいるようにぼくには映った。
「ぼくだって焦ったよ。」
もうとにかく必死だった自分を思い出してぼくも苦笑した。
「だからね、あたし言ったんだ。デキの悪い部下なんだねーって。」
真宵ちゃんはぼくを見て、からかうような目つきをしている。思い出の中にある想像の“デキの悪いぼく”じゃなく、今のぼくに向けられて。
「一言余計だよ! 初法廷で殺人事件を扱ったんだからほめてくれよ。」
くすくす、というにはあくどい顔で真宵ちゃんは声を出して笑う。そして笑いが収まった頃、でもね、と前置きした。
「お姉ちゃんはほめてたよ。‥‥“彼は天才よ”って。」
「‥‥‥‥そっか。」
尊敬していた、いや、尊敬している人の言葉をぼくは噛み締めた。
嬉しい。その言葉だけがぼくの心にいっぱいになる。所長に認めて貰えていたなんて、同時にくすぐったい気分になる。
「それに、これは前になるほどくんに言ったと思うけれど‥‥」
そう言って真宵ちゃんが聞かせてくれたのは、千尋さんの事件で彼女が容疑者として留置場にいたときにぼくに話してくれたことだった。
――あと3年待ちなさい。
無実になりたければ‥‥ね。
正直、傷ついた。ぼくは頼りないのかって。だけど、もっともな話だと今なら思う。1度しか法廷に立っていない新米弁護士に大事な妹を任せられるわけがない。
「あれからもう3年経ったよ、なるほどくん。自信を持っていいんだよ。なんせお姉ちゃんのイカスミ付きなんだから!」
「お墨付き、ね。」
いいところで間違える彼女にぼくは苦笑いしながら訂正した。でも、これで暗い雰囲気が少し明るくなった。これが真宵ちゃんの持つ力でいいところだ。そして、ぼくは何度もそれに助けられて支えられている。
‥‥“3年”か。ぼくはこの3年で成長したんだろうか。自分自身、そうは思えないから答えは見つからないままだ。
「あたしもなるほどくんは天才だと思ってるよ。」
お姉ちゃんだけじゃない、そう言ったあと彼女から紡がれた言葉に、ぼくは泣きそうになった。
――だって、みんなを幸せにする天才じゃない。
屈託のない満面の笑顔で、真宵ちゃんはそう言った。
危なっかしくて、頼りなくて、どうしようもないぼくだけど。簡単に人を信じて、挙げ句の果てに騙されちゃうような人間だけど。行き当たりばったりで頭を使うのはニガテなダメ弁護士だけど。
いいのかな、それで。
いいんだよな、それで。
「‥‥ありがとう。真宵ちゃん。」
――ありがとう、千尋さん。
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