逆転/企画・AtoZ
腕を組み、忙しなく人差し指を動かしながら御剣は目の前にある不規則に並ぶ駒を睨みつけている。その眉間には濃くシワが刻みつけられており、いつもより険しい表情だ。
「さあて。レイジくんはどうでるかな~? クイーンでルークを取るか、はたまたビショップでポーンを止めるか。」
そんな御剣のチェスの相手、信楽盾之は楽しげにそして彼がどうでるかワクワクした面持ちで言った。
ゲームは互いに牽制し合う状態にある。駒を取れば取られてしまい、追いつめられてしまうかもしれない。動かす駒を間違えば即座に命取りになるだろう。そんな状況にも関わらず、信楽の顔はスタート時から変わらない。いつも笑みを絶やさず、こうして御剣をからかうように戦略を告げるのだ。
「‥‥その手には乗りませんよ。」
「あら。それは残念。小さいときは素直に聞き入れてくれたのに。」
こーんくらい小さいときね、と腕を低い位置に持って行き、手のひらを床と水平にしておどけてみせる。その親戚が子供にやるようなマネに御剣はかあ、と顔を赤くした。
「そんな小さくありませんでした。それにあのときは信楽さんが遊びながら教えてくれているものだとばかり‥‥」
ふと思い出された昔話は御剣には恥ずかしいものだったらしく、耳を澄まさないと聞こえないような小さな声でぼそぼそと反論する。しかし、その態度も信楽には面白おかしく感じてしまい、更につついてみようかとイタズラ心をくすぐるものがあった。
「そういえば、ノドが渇いたなんて言ってオジサンが席を立ったときに勝手に駒を動かしてたこともあったよねー。」
ニヤニヤ笑いながら思い出話に花を咲かせる信楽とは裏腹に、御剣は居づらそうに目を伏せより一層、顔を赤らめる。期待を裏切らない、予想通りの反応に信楽はくつくつと喉で笑った。しかし、そのイジメっ子の笑みが御剣が動かした駒によってピタリと止まる。
「もう少しで“成った”んだけどなあ。ナイトで止められちゃったか。悔しいねー。」
先ほど一瞬だけ真顔になったとは思えないおちゃらけた調子で信楽は言った。ポーンを成駒にしようと狙っていた信楽は惜しいと付け足し、被っていた帽子に手を添える。
「それは本心ではないでしょう?」
「うーん。まあね。」
考えを言い当てられても信楽は軽い口調で返事をした。ただの兵が昇格するなら、戦局が有利になるためそれに越したことはない。だが、それはあくまでも上手く行けばという話である。
「でも、ナイトで来るなんてちょっと意外だったからね。」
それは本心だった。小さい頃の御剣のプレイスタイルを知っている信楽は、彼がどれほど“騎士”に固執しているのかも勿論知っている。だから、彼が置かれている状況を考えるととても意外だったのだ。なにせ、今動かした御剣のナイトは信楽のクイーンの餌食になる範囲に居るのだから。
(みすみす、自分から飛び込んで来るなんてビックリだねぇ)
良く言えば、信念を貫く振る舞いで一向に攻めの姿勢。悪く言うなら、守りを知らない向こう見ずなスタイル。確かに変わったと認めたところはあったが、こういう詰めの甘いところは全く変わっては居ないのだと信楽は薄く笑った。そんな胸中を知らない御剣は不思議そうに首を傾げる。
「意外、ですか?」
そう言って考え込む御剣の様子に、本当に分かっていないのだと信楽は苦笑するも、変わっていない姿に安心感に似た感情を持った。そして駒を動かそうと手を持ち上げとき、ピタリと信楽の腕が止まった。
「‥‥レイジくん、図ったね?」
「さあ、それはどうでしょうか? しかしアナタはどちらにせよ、クイーンを失うことになりますね。」
ニヤリと口角だけを上げて笑っているように見せている信楽に対し、御剣は難しい顔のまま嬉しそうに言った。
彼の言う通り、信楽の女王はにっちもさっちも行かない状態にあった。逃げ出そうにも自分の駒に遮られており、抜け出せない。動かせる範囲で逃げようとしても、相手のルークなどにしっかりとマークされている。そして第一候補の戦略である、成ろうとしている信楽のポーンを取りに来た駒をクイーンで取る戦法を行ったとしたら。
「近くに構えているレイジくんのナイトに取られてしまう、ってワケか。」
本来の目的であるポーンを使った方法をまんまと逆手に取られ、見事に誘われてしまった自分に信楽は苦笑した。こうなれば、どの動かし方が相手に一番響き打撃を与えるかがポイントになってくる。
数手先まで考えながらも頭に過ぎるのは、小さい頃となんら変わらずナイトに執着する御剣の戦い方だった。
「変わっていないんだね、レイジくん。相手の隙をつくやり方もナイトにこだわる戦法も。」
そう言う信楽の表情は今までの含み笑いとは違い、晴れやかに笑っていた。それだけ御剣の戦略を見事なものだと素直に心から思ったのだ。
「いいえ。それは違います。」
信楽が飛び込んできた白のクイーンがある場所に黒いナイトを置いて御剣は言った。
「変わってないのではなく、あるべき姿を取り戻したんです。‥‥優秀な“ポーン”と、もう1人の“ナイト”に。」
信楽は盤を見つめながら御剣をちらりと盗み見る。その顔は勝機を確信こそしていないものの、強く自信に満ちた表情だった。その言葉の裏に居る人物が分かった信楽は、何だのろけかと微笑ましいいような、いいネタを拾ったとワクワクしてしまうような“おいしさ”を感じてニヤニヤ笑った。
「だから、レイジくんはナイトにこだわるわけだ。そうだねえ‥‥言われてみれば、彼は馬車ウマのように働かされてるもんねー。主にレイジくんに。」
「アレは仕事です! というか誰か分かったのですか!?」
さあ‥‥どうだろうね、と御剣からボードに目線を移した信楽はしれっと言う。見ずとも彼はまた顔を赤くして俯いているのだろうと思うと可笑しくてたまらず、自然と笑みが零れる。
「言っておきますが、信楽さんが予想している彼にこのような複雑な動きは出来ないでしょう。命令しなければ動けない、むしろルークのような性格で‥‥」
「一本槍はときに玉を追い詰め、万能な飛車をも止めることが出来る。」
なるほどねぇ、と同調する信楽だったがそこには自分の意見を押し通そうとする強い意思が見えている。そのセールスマンのような態度と、楽しげに笑う先の読めない表情に御剣は怪訝そうに顔を歪めた。
「じゃあ今度会ったら伝えとこうかな。レイジくんが絶対の信頼を寄せているって‥‥桂馬のナイトくんに。」
トドメの一言を添えて追い詰めると、御剣は言葉に詰まった。そして、観念したように小さくため息をついた。
「‥‥好きにしてください。」
その言葉を受けた信楽は鬼の首を取ったと言わんばかりの満面の笑みを浮かべる。実際に行動に移すつもりはないのだが、言い負かした喜びが顔に出てしまうのだ。それを見た御剣も薄く笑った。勝てないなという諦めと、その子供っぽい趣向に呆れた気持ちで。
「信楽さんこそ変わらないですね。いつもあなたのペースに狂わされる。‥‥とんでもない策略家で、まるでサギ師のようだ。」
ぼやくように呟いた言葉は御剣の些細な反撃だった。しかし、信楽はどこ吹く風で笑っている。
「あ、そうだ。あとでポーンのことも聞かせてね。」
興味あるから、と言いながら黒い駒をサイドに置き、着実と白い駒を進めている信楽に御剣は苦笑した。
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