ノコミツ 拍手文log
「ふぅ‥‥。」
溜まっていた仕事にもようやく目処がつき、御剣から安堵とも疲労ともつかない深い溜め息が漏れる。そして彼は、うんと腕を伸ばし、椅子の背もたれに体ごと寄りかかって静かに目を瞑った。そんな御剣の様子を、同じ執務室に居た糸鋸が心配そうな表情を浮かべて見守る。
思えばここ数日、御剣はロクな睡眠も取れていない。過密な日程になるほど仕事があるということは、それだけ御剣が優秀で周りから期待されている検事だという証である。しかし、疲れ果てやつれていく姿を見ていた糸鋸には居たたまれない思いだった。
――何かしてあげられることはないだろうか。
そう頭を悩ませても、刑事である自分には出来ることが限られている。部下が上司の代わりに出来る行動はせいぜい雑用くらいなのだから。
無力な自分がほとほと情けないと、糸鋸は御剣を見つめながら力強く握り拳を作り、己を悔やむ。‥‥と、天を仰ぐように椅子にもたれかかっていた御剣がおもむろに首を回し始めた。長時間も同じ姿勢を保っていた体は強張ってしまったのだろう。
「あ。自分、肩揉むッス。」
言うが早いか、糸鋸は御剣が座る椅子の背後に回り込むとそっと彼の肩に手を置き全体を軽く撫でた。
「キミも疲れているだろう。」
肩に置かれた手を退けようと、御剣がやんわり手を重ねる。が、彼の手は断固として御剣の肩に止まろうとしており避ける気配がない。
「大丈夫ッス! 昼間にたくさん寝たッスから。」
糸鋸はニカッと普段通りの屈託のない笑顔を見せて、胸を張って言う。だから大丈夫、任せてと元気がありあまっているよう振る舞う糸鋸に、御剣は心の中で小さく異議を唱えた。
(‥‥ウソつきめ。)
彼は昼間もずっと傍に居たのだ。せっかくの休みだったにも関わらず、御剣の傍に居て、ただ御剣を見つめていた。
(私は知っているのだ。キミが朝方まで被疑者を張り込んでいたこと。)
疲れていないはずがない。今すぐ眠りにつきたいだろう。なのに彼はあんな優しい、ムジュンだらけのウソをついた。それが御剣には心地よく、糸鋸の限界が近づきあるのを知りつつもつい甘えてしまいたくなる。理性と自分のワガママを秤にかけて闘うが、ついに糸鋸の甘さに酔わされ、御剣は深くは言及せず、そうかとだけ呟いて体を預けた。
目を瞑って体の力を抜くと、ゆっくりと程良い力加減で張っていた筋肉をほぐされ始め、思わず御剣は息を漏らす。気持ちがいいというのは勿論、肩から伝わる刑事の指の暖かさに安心感を覚えたのだ。
(‥‥私はかなり刑事に甘えているな。)
温もりを感じながら、御剣はぼんやりそう思った。
こちらが黙っていれば声をかけ、不安なときには何も言わず傍に居てくれる。それが当たり前になったのはいつからだったか。
「キミにはだいぶ無理をさせてしまっているな。‥‥すまない。」
そう御剣が呟くと、糸鋸は疲れなんて感じさせない柔らかいトーンで言った。
「そんなことないッス。こう見えても体力には自信があるッスよ。それに御剣検事がツラい仕事をされてるなら、自分も一緒に乗り切りたいッス。」
その思いを乗せるように糸鋸は親指に力を入れてゆっくりと肩をなぞる。
「だって、自分は御剣検事の相棒ッスから。」
ニコッと笑った糸鋸とは反対にそうか、と無愛想な返事をした御剣だったが、包まれているような暖かい言葉に僅かな笑みを零し、肩から伝わる温もりを感じなからそっと再び目を瞑った。