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成歩堂+真宵+御剣+糸鋸
冬――。それは人が恋しくなる淋しい季節だ。暦の上では春を迎えていても、ぼくには春が訪れる気配は全くない。
‥‥あぁ、人肌が恋しいな、なんて。
きっと今のぼくなら和泉式部の素行も理解出来るに違いないだろう。
「なるほどくん! 大変だよ!」
「‥‥なんだよ。せっかく詩人モードに入ってたっていうのに。」
澄んだ冬空を見ながら、ぼくは妙な感傷に浸っていた。冬という季節は、ロマンのカケラも無いこんなぼくでさえも詩人にしてしまうらしい。罪深き冬の魔力。
――というのは真っ赤なウソで、仕事も無ければお金も無いから、ただただぼーっとしていただけだ。何か考えていないとヒマでヒマで頭がおかしくなってしまいそうだったんだ。
「そんなムダなことに時間を費やさない! ほらほら、シャキッとするの!」
「‥‥はいはい。」
事務所にやってきた真宵ちゃんに一喝されて、ぼくは渋々起き上がって大きく伸びをした。すると、体がパキパキと悲鳴をあげる。‥‥うーん、この事務所のソファ。ソファベッドに変えようかな。
「で? 大変なことって何?」
あまり気は進まない。だけど無視するわけにも行かず、ぼくは覚悟を決めて真宵ちゃんに尋ねた。というのもぼくの中で、彼女がこうやって登場するときはあまりイイ話を聞かないからだ。事件とか弁護とか。あとは‥‥殺人事件とか。
とにかくもう、かなり高い確率で厄介ごとに巻き込まれるんだ。きっと今回も例に洩れないだろう。ぼくの質問に真宵ちゃんはフッフッフッ、と不適な笑みを浮かべ何か企んだような声で笑う。
‥‥なんだ、なんだ? イヤな予感がするぞ。
「じゃーん!」
かけ声と共に、彼女は後ろに隠していたペラペラな紙を見せつけてきた。それは小さい長方形の紙切れで、何か写真らしきものが印刷されている。
「‥‥映画トノサ、マン‥‥?」
見ていた紙に書かれていた文字を目で追いながら、それを口に出す。そして写真らしきものの正体が何かに気づいたぼくは深い深いため息をついた。
「そう! トノサマン!」
元気よくにこやかに答えた真宵ちゃんにどう反応すべきかを悩みつつ、ぼくは苦笑した。
おそらく、コレは映画トノサマンのチケットなんだろう。いや。“だろう”じゃない。絶対にそうだ。間違いない。だから、こうも真宵ちゃんはゴキゲンなわけだ。2枚のチケットをヒラヒラさせて――。
え。にに、2枚?
「ま、真宵ちゃん。それ2枚あるけどどうするの?」
「え。どうするって‥‥。」
決まってるじゃない、と笑う真宵ちゃんの瞳が不気味にギラリと光る。それを見たぼくの額からはダラリと汗が流れ落ちた。
* * * * *
「なるほどくーん! なに食べるー?」
家を出てから、数十分。ぼくたちは事務所近にある映画館へ足を運んだ。
終始ゴキゲンな真宵ちゃんのテンションは高く、声が弾んで段々と大きくなっている。嬉しくてはしゃぎたくなる気持ちはわかるんだけどね‥‥。
「‥‥ぼく、隣にいるんだからそんな大きな声出さなくても聞こえてるよ。」
出来れば距離感をわかってもらいたいものだ。真宵ちゃんの変わったファッションってだけでも注目のマトだっていうのに、こんな大声じゃ色んな人たちに見られてちょっと恥ずかしい。当の本人は気にしてないみたいだけど。
「もう! ノリ悪いな~。ナウなヤングに絶大な人気を誇るトノサマンの映画を見れるんだよ!?」
「本当にナウなヤングな人は“ナウ”とも“ヤング”とも言わないよ。死語だからね。」
ぼくの冷静なツッコミは全く聞いていないようで、真宵ちゃんは黒い2つ折りのサイフを取り出すと、そこからお札を数え始めた。
‥‥って、ちょっと待てェェ!
「ひぃ、ふぅ、みぃ、やー、ここのつ、トォ!」
「トォ! じゃない! それぼくのサイフだろッ! かか、返しなさい。」
彼女の手からひょいと奪い取って胸ポケットにしまう。
危ない危ない。まったく‥‥一体いつ取られたんだ? ユダンもスキもあったもんじゃない。
取り上げられた真宵ちゃんは「けちー」だの「オニー」だの「陰険」だの文句を言っている。‥‥やれやれ。
「あのなあ、そういう言葉はもっと違う人に言ってくれよ。ぼく以外にいるだろ? そのコトバがピッタリ似合うヤツ。」
例えば、そう。
ぼくより断然給料がいいくせにガム代すら請求してくるヤツとか。人を射殺すんじゃないかって思っちゃうような目の鋭さを持った、弁護人をイジメて楽しむヤツとか。
「いったいダレがケチなのだ? 成歩堂。」
そうそう。
こんな感じに古風なしゃべり方で、声からして神経質そうなカタいヤツにこそ、さっきの言葉をぶつけるべきで――。
‥‥え?
「真宵くん。キミも苦労するな。たかが数百円をシブる男と行動しなければならないとは。」
馴染み深い聞き覚えのある声がした方をゆっくり振り向いた。そして視界に入った人物を見るなり、ぼくは口をパクパク動かして言葉を失った。
「みみ、御剣ィィ!?」
「うるさい。他の人に迷惑だ。」
絶叫したぼくの声がよほど迷惑だったようで、普段からしかめっ面の顔がますます険しくなった。
しかし、なんだってこんなところに‥‥って映画館ですることなんて限られてるか。コイツも映画なんて観るんだなあ。なんていうか‥‥意外だ。
「御剣検事は何か観るんですか?」
「あ、あぁ。私は話題作を少し。」
御剣は作品名を言わず言葉を濁した。
なにが“少し”なんだよ、とは言わないけど、御剣のヤツが何を観に来たのかなんとなく興味がある。‥‥まさかとは思うけど、トノサマンとか言わないよな。
「なあ、なに観んの?」
「‥‥“きみはヒョッシー”。」
「‥‥は?」
御剣の言葉が理解出来ず、ぼくは思わず素っ頓狂な声が出た。
「何度も言わせるな。“きみはヒョッシー”を観に来たのだ。」
「えー。意外! 御剣検事さんは“allyears”を観ると思ったのに。」
御剣から出た作品名に真宵ちゃんがうんうんと頷きながら言った。
なんだ。ぼくだけか? まったく話についていけないぞ‥‥。
「あのさ。話盛り上がってるとこ悪いんだけどなにかな? “きみはヒョッシー”って。」
ついでに“allyears”も知りたいところなんだけど。
話題作を知らないぼくを、真宵ちゃんは信じられないという面持ちで見た。御剣のヤツもクックックッと喉で笑っている。なんとも腹立たしい笑顔だ。
くそぉ‥‥。もっとちゃんとテレビを見とけばよかったかな。
「“きみはヒョッシー”っていうのはね、恋愛映画でそりゃもう純愛ラブストーリーなんだって。」
真宵ちゃんからの説明をぼくは、ふーんと頷きながら聞いていた。
恋愛モノにしては、タイトルおかしいと思うのはぼくだけか? ヒョッシーって。どう考えてもギャグモノにしか感じないんだけどな。しかも、あのカイブツを生み出したオトコは恋愛した数だけフラれているんだから‥‥なんとまぁ、ヒニクなもんだ。
「恋愛映画ねえ‥‥。」
じゃあ、それを御剣は観るのわけか。
‥‥恋愛映画を? あのミケンにシワを寄せる鬼検事御剣が?
「なぁ、お前。ほんとに観るのかよ。」
「何か問題あるか。」
「いや、ないです。」
鋭い眼光で睨まれて、ぼくはスッと目線を外した。‥‥やれやれ。
この、どんな人でも黙らせる威圧感は法廷だけにしてほしいところだよ。
「御剣検事ー!」
ちょっぴり怖い思いをしているところに、もう1つ知った声が耳に届いた。イトノコさんだ。見れば彼は両手にドリンクを持ってこちらに走って来ている。ああ、なんだ。御剣のヤツ、1人で来ていたわけじゃないのか。
「遅いぞ、糸鋸刑事。」
息を切らせながら駆け寄って来たイトノコさんからドリンクを受け取ると、御剣が時計を確認してそう注意した。
「開場まで15分を切っているのだ。常に前もって行動するよう言っているハズだが?」
いやいや! 十分だろ。15分もあったら!
時間にうるさい御剣の小言にひたすら頭を下げるイトノコ刑事を哀れんで見ていると、真宵ちゃんが小さな声で呟いた。
「キビシいね、御剣検事。」
「ほんと。まったくだね。」
もし御剣のようなヤツが上司だったら、ぼくはすっかり自信喪失して数日で会社を辞めてしまいそうだ。
「ね、ね。なるほどくん。」
やれやれと首を振っていると、真宵ちゃんにスーツの袖を軽く引っ張られた。意識がそちらに向き彼女を見ると、真宵ちゃんは指で何かを差し示していた。ふと、視線を向けた先には上映中に飲むんだろう。御剣が持っているドリンクがある。しかし、それは他の映画館で見かけるような紙製のものじゃなく、プラスチック製で表面には真宵ちゃんが大好きなトノサマンが描かれていた。
「アレ、どこで売ってるのかな?」
言いながら、穴が開くんじゃないかというほどドリンクのパッケージに熱い視線を送っている。もう見るからに、興味津々ですという態度だ。それに御剣が気づかないはずがなく。
「‥‥真宵くんはトノサマンが好きだと言っていたか。」
ミケンにシワを寄せて御剣が悩むような表情を浮かべる。けれどそれは一瞬で、いつものキリッとした顔に戻ると真宵ちゃんにドリンクを手渡そうとした。その意外な行動に彼女はちょっと受け取ることを躊躇って反射的に手を引っ込めた。
「気にすることはない。そこの幼馴染の甲斐性なしからあとあと請求するつもりだ。」
そう言うや否やニヤリと悪そうな笑顔を作って御剣がぼくを見る。
くそぉ‥‥。ちょっと紳士的でカッコイイなと思ったのに、やっぱりお金をとるのか。このドケチめ。
「し、しかし御剣検事だってトノサマン――。」
「刑事。上映時間が近い。行くぞ。」
何か訴えようとしたイトノコさんの言葉を遮って、御剣は彼を引っ張てズルズルと強引に連れて行った。
‥‥イトノコさん。今、何を言おうとしたんだろう。まるで御剣もトノサマンが好きなような、そんなニュアンスだった気がする。いやいや、あの御剣がまさかね。まぁ、いいか。機会があったら今度聞いてみよう。
「なんにしても飲み物代、浮いてよかったよ。」
ぼくは自分のサイフがまだ無傷のままでいることに、ホッと胸を撫で下ろして呟いた。
* * * * *
「いやー、面白かったね!」
映画を見終わったぼくたちは出口に向かって歩いていると、真宵ちゃんが弾むように言った。“ように”というか、実際に彼女は軽いスキップをしていて心底楽しかったようだ。
「トノサマンがピンチになったときはもうダメかと思ったなぁ。あそこでワカサマンが来なかったら死んでたね、アレは。」
上映前からゴキゲンだったが、さらに増していつもより饒舌で感想を述べている。それにはぼくも同感と静かに頷いた。
「やっぱり、諦めない気持ちって大切だよね。」
「お。なるほどくんが言うと説得力があるね!」
無難に済ませようと発したぼくの言葉を、真宵ちゃんが鋭い刃物でえぐってつついてきた。それは、ぼくがいつもピンチで絶体絶命状態だと言うことか。‥‥とほほ。
「でも、それって本当に大事だよねー。もう一回観たいなあ。」
「それはカンベンしてくれよ。」
「ジョーダンだよ。ジョーダン。」
真宵ちゃんはそう言ってケラケラと笑いながら、廊下に並ぶ映画のポスターやポップを無邪気にハシャいで見ている。‥‥うん。たまにはこうして仕事を忘れるのも悪くはないよな。最初は否定的だったぼくも、正直言えば映画に引き込まれてしまったんだから。
何年ぶりだったかな。何も考えず、主人公の奮闘ぶりを見てただただ応援していたのは。滅ぼされるべき悪を退治したヒーローを心の底からカッコイイとときめいたのは。
上映中のぼくはたぶん、他の子供たちにも負けないくらい目をキラキラ輝かせて見ていたんだろうなー‥‥なんて。
「ほら、なるほどくーん! 早く帰るよー!」
出口に待ち構えていた真宵ちゃんは全身でおいでおいでと表している。こんなに人が往来するところでまったく‥‥とぼくは苦笑いを浮かべ駆け寄った。
「そんな慌てなくても事務所は無くならないよ。」
ぼくの一言に真宵ちゃんは目を丸くさせて、何を言ってんの! と言うと同時に、思いっきりバシッと背中を叩いた。
「成歩堂法律事務所にやってくる依頼人たちが、主であるヒーローの帰りを待ってるんだよ!」
そう言って、ぼくの胸元で光る弁護士バッジを指さして真宵ちゃんは笑った。
‥‥うん、そうだな。そうだよな。
助けを求めている人たちが、たくさんいるんだ。
「‥‥うん。そうだね。帰ろっか。」
ヒリヒリする背中の痛みに涙を滲ませて、ぼくはそう言った。