かいたやつとかの記録

大人になっても

2023/02/08 00:00
鳥メン
 
 まるで絵本のような夜の森だった。
 目に映る世界が埋め尽くされない程度に生い茂った木々は黒々とし、頭上にある空は星の光で清々としていた。
 月はすこし欠けて丸い。
 かすかな風の動きや、いまだ育つ余地のある2対の少年の足裏に踏まれて、あるいは時折、あたりを跳ねたり跳んだりする小動物や虫に揺らされて、草木は首を振りながら鳴っていたし、どこからかフクロウはほうほうと鳴いていた。
 耳に繰り返して流れ込んでは抜けていくその音を聞くうちに烏丸は、なんとなく、ある響きや場面を思い出していた。
「そう、そうか」
 ひとり、納得するような頷きに、けれども先を歩く鷹山は振り返らない。
 反応が無であることに腹を立てるでもなく、烏丸はひとりごとを続けた。
「そうだな」
 鷹山はまだ気がつかない。踵で小枝が1本砕けた。予想のうちだった。
「そうだろ。そう。お前の、名前だろ」
 同じ街や、隣の街に住む仲間たちからはあまり呼ばれたことはなかったが、このところ、たくさん呼ばれる機会を持つ名になった。
 主に、高く、高く、愛らしく、さえずる、アイリーンやフィオナらの声によって。
 烏丸のつぶやきにつつかれるようにようやく鷹山崇は振り返った。わずかにだけ、目のなかに遠くの光が映りこんだようにも見える。烏丸はそれをじっと見返した。
「なんだよ、自分の名前に怪訝そうな顔して」
「そうじゃない」
「そう、じゃない?」
 少しだけ、揚げ足で時が進むのを止めると。
「……そうだけど」
 いったい何を肯定したのだか、段々と絡まってきている2つの意味を解きあぐねている鷹山が難しく考える素振りをするので、逆に、烏丸は馬鹿馬鹿しくなってきてしまった。それにしても。思ったよりも。日常使いにするには案外と。
「わかりにくいんだな」
 発音の差だろうか、彼女らの声で呼ばれるその数々の方がよほど潔い輪郭を持っているように感じられる。
 烏丸がわざわざ喉口を使って呼んでみたそれは相槌のように、かすかな頷きのように消えてしまいそうな淡さであったというのに。
「もう1回、もっと、低く呼んでみてくれ」
「いやだね」
 鷹山の提案をばっさりと羽音で一蹴し、以来、山に宗で崇と書く鷹山の名前について印象に残るようなやりとりの記憶はない。
 フロアの半分だけ、照明を落としたオフィスで、ディスプレイのブルーライトに照らされながら自分の音声アーカイブを整理しているこの状況もまた、現実味が感じられない手ごたえではあるなと烏丸英司は頬杖ついた。
 ぞんざいに動かすマウスでクリックした再生ボタンは最も日付が古いものだ。まだ、烏丸が制服を着ていたころに捕捉されたひと声。何世代も前のスマホの荒い画像と、ひどい手ぶれ、どこの誰ともわからない撮影者はカメラを向ける方向でさえも見つけられていない。
 水が跳ねる。水柱が立つ、水に落ちる。
 その後に「……どけ鷹山……!!」と、致命的なミスを犯した自身の声の眉が寄る、やはり現在よりも幼く響いている。
 いくつかの、年月を経た現在ならばおそらくは、もっと。
 もっと。
 烏丸は、深く、深く、長い息を吐き切ってから、育った分だけ鷹山の望みに近づいた声色で虚空にぽつりと呟いた、呼ばねぇぞ。

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