そこへ、隣の席から誰かが立ち上がる音がし、こちらに向かってくる気配を感じた。ジェラルドかと思ったが違った。背後のソルーシュがげぇっと呟くのが耳に入る。
「ヴィルヘルム様」
少し低めの女性の声で呼び掛けられ、そちらを向くとミッターマイヤー家令嬢のエッダが立っていた。ジェラルドとはまた違った毛色のふさふさとした獣耳が忙しなく動き、尻尾は彼女の興奮を現すかのようにぶんぶんと大きく左右に揺れている。
慌ててヴィルヘルムが立ち上がり、お辞儀をする。慌てすぎて宮廷式のお辞儀ではなく騎士のお辞儀をしてしまった。だが幸いなことにそれについては咎められず、逆に微笑みを湛えている。
エッダはどちらかといえばシャープな顔立ちの美人だが、微笑むと何だか幼く見えるのが印象的だった。
「これはエッダ嬢、お見苦しいところを見せてしまい申し訳ありません」
「気にしていませんわ。それより隣に座ってもよろしくて?」
「はあ…どうぞ」
そう言ってエッダが座るのを手伝ってやり、ヴィルヘルムも座る。彼女が座ったのはナズナの席なのだが、彼女は今ダンスの相手で忙しいため不在だ。だから別にいいかとヴィルヘルムは心の中で自己完結した。
それで一体彼女は何の用で来たのだろう。
エッダはエッダで恥ずかしそうにちらちらとヴィルヘルムを見ては、目が合うと真っ赤に俯いてしまい話にならない。
そこでヴィルヘルムは間違った方へ頭を働かせた。
そうか、この令嬢はソルーシュと二人きりになりたいのだ。
ヴィルヘルムに浮かんだ表情を見て、途端にソルーシュは嫌な予感がした。そしてそういう嫌な予感に限って当たるのである。
頼むから黙ってそこに座っていろ、とソルーシュの切実な祈りはヴィルヘルムにも神にも届かない。
おもむろにヴィルヘルムは立ち上がると、爽やかな笑みを浮かべてエッダに言った。
「これは気が利かなくてすみません。私は少し席を外しますから、心ゆくまで彼と語らって下さい」
「へ…?」
挨拶もそこそこに消えてしまった空気の読めない鈍感男をぽかんとして見送る哀れな乙女にほんの少しだけソルーシュは憐憫の情が湧いた。それと同時に憤りを感じる。
明らかにエッダはヴィルヘルム目当てにこの席へやってきたというのに。
よくもこんな爆弾を残していきやがって、とソルーシュは逃げた騎士に心の中で悪態を吐いた。